- 分析 -
監督
野中克哉(のなかかつや/Katsuya Nonaka)という男
文 MATSURIUMISUKU
監督
あの男が福岡に帰ってくる。
野中克哉はひと癖もふた癖もある、けれどごくふつうの男である、と思う。
こういうと「ふつうってなんだ!」という声が聞えてきそうな気もするが、
そこはあえてスルーさせていただきたい。
何の変哲もない4年制の大学で野中克哉本人と出逢った頃から、
なんとなくこの男を観てきたし、追ってきた。だからこそ、いま改めてそう思う。
曲者であるが、ふつうの男。
えも言われぬ、どこか掴みどころのない男。
本人の気を悪くするつもりはさらさらないが、なんとなくそういう言葉が浮かんでくる。
この手で掴むことが容易ではない何か、けれどなぜかどこかしらで、必ず
「ぷっ」と吹き出させられてしまうような
「何か」
を、ほどよくあたりに漂わせている。だから不思議だ。
そんな男「野中克哉」が、今回初めて映画を撮った。
ここで或るMATSURIUMISUKUによるふたつのエピソードを紹介したい。
KATSUYA NONAKA -episode1-
-思い起こせば大学生の頃、野中克哉という男はバイト先、クラブのイベント、友人宅、どんなときもかたくなに、スケートボードに乗って登場していた。ような気がする。
記憶とはあくまでいい加減なものだ。
大学のキャンパス内でも、当時、所謂、いまをときめく男女を尻目に
彼は、タイルが貼ってあるすこぶる乗りにくそうでデコボコな地面を
「ガリガリガリーっ」と音を立てて、
半径15メートルぐらいのひとが気付きすぎるくらい気付かれながら滑り現れ、
目の前を走り去っていったものだった。
あの音は思わず「ぷふーっ」と吹き出した笑いとともに、いまもこの耳に刻まれている。
KATSUYA NONAKA -episode2-
5年ほど前になるだろうか。
東京で数年ぶりに野中克哉本人との再会を喜び、その別れ際のこと。
あの「毎日がどんたくか。」「毎日がお祭りか。」と、ひとりつっこみするほど
人で溢れかえる渋谷スクランブル交差点。
「じゃ!」
と、彼がスケートボードに足を携えたその瞬間、一ミリの迷いもなく炸裂したロケットスタート、
風の如くに走り去る後ろ姿。
またしてもここでわなわなと、もちろん吹き出してしまったことは
これを読んでいるみなさんも想像に容易いのではないだろうか。
深くて、鮮烈。我が耳、脳みそ、心に刻み込まれている。
このときは「ガリガリガリーっ」って音は、そんなにしなかったんじゃないかと思う。
そう、記憶とはあくまでいい加減なものだ。
episode of KATSUYA NONAKA -了-
そうだとしても、憶えている。
ハードコアな男や。
当時、ポツネンと浮かんだひとつのことば。
じゃあハードコアの歴史について説明してみ?と言われてもごめんなさい、
それがし満足にどころか、ほとんど説明できません。
けれど、当時の印象として、そのことばがピッタリくるものであったことはたしかな気がします。
もしハードコアの歴史を詳しく知りたいひとは、自分で調べるか、
上映会の当日のトークで、もしくは本人に直接聞いてみてください。
もしかしたら色々話が聴けるかもしれません。
さて、今回、彼は映画を撮りました。
たぶん、撮る必要があったのでしょう。
一体どんな映画を撮ったのか。
これまでを観る限り、彼はいつどんなときも訴えかけていた気がします。
その対象が自己であろうと、他者であろうとも。
そして、
自分の目で、耳で、肌で、手で、足で、感じることを、何よりも大切にしていた。そんな気がします。
だからおそらく、今回の上映会で映画を観れば、何かしらを持ち帰ることは
できるんじゃないかなあ~と、ぼんやりとですが思っています。
せっかくだから、たくさんのひとに観てもらいたい。
そう思わせずにはいられない男(監督)、野中克哉。
今回は本人の希望もあり、2日間のイベント期間中、上映時間は午前中から夜までと、
正直映画館でもないのにけっこう長いです。疲れますが仕方ないです。冗談です。
だから益々、みなさんにはちょっと無理してでも観にきてほしい。
お待ちしています!
そこはあえてスルーさせていただきたい。
何の変哲もない4年制の大学で野中克哉本人と出逢った頃から、
なんとなくこの男を観てきたし、追ってきた。だからこそ、いま改めてそう思う。
曲者であるが、ふつうの男。
えも言われぬ、どこか掴みどころのない男。
本人の気を悪くするつもりはさらさらないが、なんとなくそういう言葉が浮かんでくる。
この手で掴むことが容易ではない何か、けれどなぜかどこかしらで、必ず
「ぷっ」と吹き出させられてしまうような
「何か」
を、ほどよくあたりに漂わせている。だから不思議だ。
そんな男「野中克哉」が、今回初めて映画を撮った。
ここで或るMATSURIUMISUKUによるふたつのエピソードを紹介したい。
KATSUYA NONAKA -episode1-
-思い起こせば大学生の頃、野中克哉という男はバイト先、クラブのイベント、友人宅、どんなときもかたくなに、スケートボードに乗って登場していた。ような気がする。
記憶とはあくまでいい加減なものだ。
大学のキャンパス内でも、当時、所謂、いまをときめく男女を尻目に
彼は、タイルが貼ってあるすこぶる乗りにくそうでデコボコな地面を
「ガリガリガリーっ」と音を立てて、
半径15メートルぐらいのひとが気付きすぎるくらい気付かれながら滑り現れ、
目の前を走り去っていったものだった。
あの音は思わず「ぷふーっ」と吹き出した笑いとともに、いまもこの耳に刻まれている。
KATSUYA NONAKA -episode2-
5年ほど前になるだろうか。
東京で数年ぶりに野中克哉本人との再会を喜び、その別れ際のこと。
あの「毎日がどんたくか。」「毎日がお祭りか。」と、ひとりつっこみするほど
人で溢れかえる渋谷スクランブル交差点。
「じゃ!」
と、彼がスケートボードに足を携えたその瞬間、一ミリの迷いもなく炸裂したロケットスタート、
風の如くに走り去る後ろ姿。
またしてもここでわなわなと、もちろん吹き出してしまったことは
これを読んでいるみなさんも想像に容易いのではないだろうか。
深くて、鮮烈。我が耳、脳みそ、心に刻み込まれている。
このときは「ガリガリガリーっ」って音は、そんなにしなかったんじゃないかと思う。
そう、記憶とはあくまでいい加減なものだ。
episode of KATSUYA NONAKA -了-
そうだとしても、憶えている。
ハードコアな男や。
当時、ポツネンと浮かんだひとつのことば。
じゃあハードコアの歴史について説明してみ?と言われてもごめんなさい、
それがし満足にどころか、ほとんど説明できません。
けれど、当時の印象として、そのことばがピッタリくるものであったことはたしかな気がします。
もしハードコアの歴史を詳しく知りたいひとは、自分で調べるか、
上映会の当日のトークで、もしくは本人に直接聞いてみてください。
もしかしたら色々話が聴けるかもしれません。
さて、今回、彼は映画を撮りました。
たぶん、撮る必要があったのでしょう。
一体どんな映画を撮ったのか。
これまでを観る限り、彼はいつどんなときも訴えかけていた気がします。
その対象が自己であろうと、他者であろうとも。
そして、
自分の目で、耳で、肌で、手で、足で、感じることを、何よりも大切にしていた。そんな気がします。
だからおそらく、今回の上映会で映画を観れば、何かしらを持ち帰ることは
できるんじゃないかなあ~と、ぼんやりとですが思っています。
せっかくだから、たくさんのひとに観てもらいたい。
そう思わせずにはいられない男(監督)、野中克哉。
今回は本人の希望もあり、2日間のイベント期間中、上映時間は午前中から夜までと、
正直映画館でもないのにけっこう長いです。疲れますが仕方ないです。冗談です。
だから益々、みなさんにはちょっと無理してでも観にきてほしい。
お待ちしています!