2015年12月21日月曜日

ちょっとずつ



企画(集団?)の名前、変化しています。


最初・変更前)UMISUKUU 祭 → 変更後)祭りうみすく → さらに変更後)祭リウミスク


もうすでに2回のトランスフォームを重ねています。ふふふ

名前の変化はいったん落ち着きそうです。
ブログの説明文はちょこちょこと変わりそうです。
よければときどき抜き打ちチェックしてみられてください。

変わりながらもそのままであり続けるものというのは、とても不思議で魅力的。(な気がします。)
気になるアイツです。
たとえば月とか、水とか、ゼラチン(ゾルからゲルへと変化するもの)とか。

今日はのんびりといきましょう。
ゼラチンについて。
お時間のある方、よろしければお付き合いくださいませ。
ゼラチンは熱を加えたりさましたりすると溶けたり(ゾル化)固まったり(ゲル化)します。
その逆も然りの不思議なアイツです。
常に流動的に変化しながらも、なんとゼリーは美味しいまま!です。
(ゼリーが苦手な方は残念ながらその逆)

ある環境のなかで相互反応を起こした先に生まれる変化をごく自然、かつ貪欲に受け入れる。
そうでありながら積み重ねられてきた物質たちへの敬意と、生まれた瞬間から既に備わっている核(性質の根幹)の部分はそのままにあり続けるゼラチン。

ゼラチンになりたいウミスクです。
ゼリーが嫌いな方は煮こごり?とか、鶏肉を炊いたときのコラーゲン?
とかにあてはめてみてくださいませ。美味しそう。楽しいかもしれません!

さて、今日はめったにない(はずと思われる)初ののんびりブログ。
ゾルとゲルのお話も出たところで、突然の思い出コラムコーナー!
です。

~ゾルとゲルの思い出~
(或るウミスク談)

あれは高校二年生のいつ頃だったろう。

みんなに愛される熊さんのように可愛らしい担任、石川先生。(生物担当・男性)
その日の授業はゾルとゲルについての説明だった。
イメージしやすいようにと、石川先生は生徒のわたしたちにゾルとゲル両方の特性を併せもつ物質「ゼラチン」を紹介。

ゼラチンは、美味しいゼリーに欠かせないのはもちろんのこと、常に流動的に変化(ゾル化とゲル化を行き来)しながらも、その本質は変わらずに在り続ける。そんな説明があったかなかったか。
兎にも角にも、この不思議で魅惑的な物質のもつ世界感にうら若き高校二年生のわたしが心ときめかせたのはいうまでもない。

ゾルとゲル。
しかしいまなお続くわたしのゾルゲル愛、あるいはゾルゲル授業の鮮烈な記憶は、このとき感じたときめきとはまた別のところに由来する。
では何か。
それは、自らの身体をとおし見事にゾルゲルの世界観を演じ切った「プロフェッサー石川」その人の渾身のパフォーマンスだった。

その瞬間は突然訪れた。
黒板にゾルとゲルの図、説明をひとしきり書き終えた石川先生。
はらはらと白、黄、赤のチョークの粉。
板書を取る生徒。
なにやら前方から聴きなれない音が聴こえてくる。
ふとノートから黒板の方へと視線をずらす

「ゾルゾルゾルゾル~ゲル。ゾルゾルゾルゾル~ゲル。」
何かが、黒板の前を右から左へ、うごめきながら移動している。
石川先生だ。

ときどき長めに動いて、ときどき僅かに固まる。
「ゾルゾルゾルゾル~ゲル。ゾルゾルゾルゾル~ゲル。」
何度も何度も繰り返していたね、先生。
お元気でしょうか。

一往復。そしてまた一往復。
これがパフォーマンスアートというものか。ウミスクがパフォーマンスアートというものに初めて出合った衝撃的な瞬間であった。

そんなもんおかまい無しに先生のパフォーマンスは続く。

先生、お蔭様でわたしのゾルとゲルのシナプスはこんなにも固く繋がれて、一生離れそうもありません。そしてあのときのパフォーマンスとセリフはこの網膜と脳裏と耳の奥すべてに焼き付いています。

有難う(ございます)、プロフェッサー石川。
あれから随分時間も経ちましたが、わたしはいまだに感謝してもしきれません。
(或るウミスクの話を元に掲載しています)

―おしまい―

2015年12月20日日曜日

遅ればせではございますが・・・お詫び、そして御礼と御報告

【根っこはどこへゆく無事終了の御礼と記録】


二ヵ月ぶりの更新です。
まずはじめに、皆さまへお詫び(そして御礼)がございます!!

10月の「根っこは何処へゆく」上映会イベント、お蔭様で無事終了することができ、有難く思っておりましたが、当方このブログ上で皆さまへの御礼をすっかり忘れてしまっておりました!
なんという失態、、、。
大変申し訳ございませんでした。

あれから二ヵ月がたち、今年もあと二週間。
久しぶりにブログを開き我が目を疑いました。「おおお・・・」池田理代子先生のベルサイユの薔薇の登場人物さながらに白目をむきました。
冗談をいってる場合ではないですね、失礼いたしました。

イベント当日までの準備期間から開催当日まで、すべてにおいてたくさんの方に力を貸していただきました。
ご協力くださったみなさま、ご参加くださったみなさま、直接的に、間接的にやさしくかかわってくださったすべてのみなさま。
本当に、有難うございます。

今後とも企画活動は継続して参ります。
情報はごくマイペースではありますが、Fbやツイッタ―、このブログでご案内できればと思っています。
まだまだはじまったばかりの祭リウミスクではございますが、みなさま、今後ともよろしくお願いいたします!

【根っこはどこへゆく当日の記録

さて、10月の記憶を遡り、上映会イベント当日の様子をレポートしたいところではありますが、やはり記憶というものはごく曖昧なものですね、うう。詳細はすっかり忘れてます。

そのため今回は25日に行われたゲストトークでの会場の雰囲気を記録します。

当日のメインはなんといっても清水潤さん、加藤笑平さん、二人のゲストとのトーク。
会場へお越しくださったみなさまにとっては、普段めったに聴く機会のないスケボーの世界、尺八の世界の当たり前がどういうものであるのかを中心にトークは展開していきました。

福岡のプロスケーター清水潤さん(中央奥左)と監督野中克哉(中央奥右)
photo by Kanako Fujii


プロスケーターの清水潤さんとのトークでは現代でのスケボーの役割という視点で会話が展開する場面もあり、清水潤さんという方の秘めた思いも聴けたトークとなりました。美術家・身体表現活動家の加藤笑平さんとのトークでは、終始加藤笑平さんから監督野中克哉に対し素朴な疑問が投げ掛けられ、それに監督がひとつひとつ応えていくというスタイル。

当日会場に集まった方の中には知る人の少ない尺八やスケボーの世界の当たり前から、実状、また、それらの世界と監督自身がどのように向き合って来たのか。
この映画の核ともなる部分をソフトに深堀りする展開となりました。
あらゆる世界に共通感覚としてあるメインストリームとアンダーグラウンド。それ自体がなんなのかという疑問もこのトークの大きな軸となり展開しているような、そんなイベントでした。

また、会場には運転中も練習するほどの熱心さで尺八修行中の方、高校生のころからスケボーを日常にしてきた方、当然、普段はまったく接点のない方と、いろんな方が。
集まった方々はさまざまに別々の日常を送りながらもいまの監督野中克哉が在る世界を問うことで、映画のタイトルどおりひとつの大きな「根っこ」をそれぞれがどこかで意識してしまう、といった感覚もあったように思います。

ご参加いただいたみなさんのおかげで終始リラックスした状態でトークは終了。
この根っこはどこへゆく、上映会イベントは無事幕を閉じたのでした。
本当に有難うございました!

今後も、映画「根っこは何処へゆく」は全国を巡ります。という思いで監督野中克哉はこの映画をつくりました。
この福岡での開催以降も、既に仙台メディテーク、渋谷アップリンクなどでも上映がおこなわれました。もし上映の機会や上映場所をご提供いただける方がいらっしゃいましたら、ぜひ監督の野中克哉宛までご連絡いただけると幸いです。
「根っこは何処へゆく」はFacebook・twitterもありますので、お問合わせの際はそちらからご連絡いただけます。

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ぜひぜひ皆さま、今後とも映画「根っこは何処へゆく」をよろしくお願いいたします!